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カルナバルのない大泉祭り

カルナバルとはカーニバルのこと。今年の大泉祭りではサンバパレードは行われません。ポルケ(何で)?と不思議に思うあなたへ。

写真はブラジル国内リオのカーニバル

'02.07.14 UP


00年の大泉祭りサンバパレード
大泉祭りとサンバパレード
 毎年7月の大泉祭りで行われていたサンバパレードは、91年に「大泉町で働くブラジル人たちにも、祭りに参加できることが何かないだろうか」ということで始まった。当初は本当に手作りのパレードで、日本人とブラジル人相互が協力しあい、衣装などは各自が夜を徹して作ったこともあったという。
「本場ブラジルのサンバパレード」という触れ込みでマスコミにも大きく取り上げられ、大泉祭りの目玉として年々規模は拡大していった。絶頂期は、94年から98年まで。コンテスト形式になり各グループ毎に競いあうスタイルとなり、まさに小規模ながらブラジルのカルナバルをおもわせるような形式であった。その当時は景気もよく、スポンサーから優勝チームには賞金が出されていたほど。
 2002年の大泉祭りにはサンバパレードの枠は設けられていない。今年は町が発足して45周年、第30回という記念すべき大泉まつりであるのにも関わらず。昨年2001年の大泉祭りでは、すでにサンバパレードは行われず、ステージを設けた特設会場でのサンバ演奏に留まった。そしてついに今年は廃止に追い込まれた。長引く不況の影響で、予算がとれないというのが、町側の説明。しかし、本当に予算だけの問題なのかというと実は様々な理由がからみ合っている。

何でなくなってしまうのか
  大泉祭りのサンバパレードを担当してきた山口武雄さん(山口精機社長)は新聞紙上でこう語る。「不況がすべての原因。働く場を求めて、中心になってやってきた人間が大泉町から転出したり。彼らが日本にやってきてから約10年。ひとつの時代が終わった」。 バブル崩壊とそれに続く不況は、厳しい雇用状況をもたらしている。就労契約が2ヶ月、3ヶ月というのはもはや当たり前。仕事があるだけましという現状で、働き口を求めて県外に転出するブラジル人も少なくない。また結婚や出産、帰国といった様々な理由によりサンバに携わってきたメンバーは継続して活動することが難しいという状況がかねてからあった。99年から01年までは大泉祭りに唯一参加した大泉産サンバチーム「ウニドス・ダ・トカ」も例外でなく、今年に入ってからは活動ができない状態だ。

在りし日のウニドス ダ トカ。01年桐生ボートにてパレード
叩けるやつはごろごろいるのになあ
コミュニティとサンバ 

 サンバはもともと、ブラジルの貧しいコミュニティから生まれてきた。年に一度のカルナバルにパレードを繰り広げ、日頃日陰にいる自分達をアピールする、今、この瞬間だけはいつもの悲しみも苦しみも 、喜びに昇華させるという舞台であった。近年は商業主義に堕したという批判もあるが、基本的には持たざるものたちのハレの舞台であった。であるから、それに携わるものたちはサンバを大事にした。コミュニティではエスコーラと呼ばれるサンバスクールを運営して、日々練習を行い技を競いあい、地域のシンボル的存在になっていった。大泉のサンバも当初はそんな気概に満ちていたような気がする。もちろん、日本では定住できない、しないというブラジル人なりの経緯があり、ブラジルと同じような状況を求めても意味がないかも知れない。
 W杯で優勝街道を邁進した、ブラジル代表を応援する場所では常に軽快でダンサブルな打楽器隊の姿があり、ブラジル人たちはそれに合わせ踊り、声援を自国チームに送っていた。「遊びでやっているんだよ。祭り?もうパレードはやらないんでしょう。俺たちに出ろって?だめだよ組織する人がいない」。
 残念なのは、やはりいつの日からか、祭りにおいてサンバをするもの、それを見るもの、という隔たりができてしまったことだと個人的には思う。「まつりの原点であるいろんな背景を持った人が協力しあう。それが何だか薄れてきてしまったような気がする」とかつて山口さんが語った言葉が今も忘れられない。

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