2.心境色々(なやみ多し)

1.死について思う(平成6年7月)
 平成6年7月24日 医師より急性腎不全であるとの知らせを聞き 頭の中が空(から)になったようなショツクを受け一瞬くらくらと来た。 人工透析をやらなければ死ぬ。人工透析をやっても 五〜十年 生きられるかなぁ(父が人工透析をやっていたのでその苦しみを見ながら つくづく思う)[死ぬ]という事について 考えなければならないと思うが 自分としては[死ぬ]と言う事に対しては意外に冷静である。人間は[生き][病気になる][老いる][死ぬ]平等に来るそうであるが四十才を過ぎてから「老いる」と言うことを少しずつ実感していた。これが運命ならば仕方がないことである。なるようにしかならん
今にして思えば
@人生の目的は他人の為に尽くすことであり、社会に役立つことである。
A自分の評価は自分でするな、他人が評価する。
B人と人との出会いを大切にする。
C自分に正直である。
D何事もやれる時にやる。
と言う事を考えながら生きて来た。しかし 自分が病気になってみると自分の事で精一杯になり他人のことなど考える余裕はない。でも気持ちが落ち着いてくるとこれから生活が出来るだろうか、子供、家族はどうか、仕事はどうなるかなど色々と考えるが、もう 自分では何もしてやる事も出来ないしやれないことになる。その中で どう生きていくかである。これからよく考えないと行けない。そのような事えを考えていたら、急性腎不全は回復し人工透析をやる事もなく終わった。
だが9月7日の検査結果で悪性リンパ腫(がんの一種)であることが判りよりショツクは大きい一難去って又一難という感じである。医師の話では 科学治療(抗がん剤を投与)を行い その後 放射線治療を行うこととなる。科学治療では血液中の白血球が下がり体の抵抗力がなくなり かぜなどの病気にかかり易くなるので 無菌室へ入る事が必要になる。要するに罪人で禁固刑と言うのがあるが それと同じ様なものだ。何もやらずに部屋の中に入る事になり それに耐えられるかが問題となってくる。精神的にもつかどうかだ。科学治療を2周間に1度を9回 その後 放射線治療をやれば完全に直ると言っているが その時にならないと判らない。これから長い暇な日々が続く 
これには心の支えとなるものが必要でありその支えとなるものが家族と宗教ではないかと思う。たまたまではあるが 神道を父が信じていたこともあり それを受け継いでやっていたので大変心の支えになっている。私には家族 父や先祖 その他諸々の神たちが ついているのである。当然 妻も母 子供も心配してくれている事はよく判り感謝している。最近テレビを見たり人の話を聞いて悲しい事があると涙もろくなったなぁと感じる。今日このごろである。[死]それが運命ならこい じたばたしない これが今の心境である。

2..家族の生活について(平成6年10月) ('94.10)

(1).入院中の生活費はどうか
 月給が今まで約30万円が無収入になり 入院医療費が月約17万円 社会保険料など月約5万円(会社へ払う分) その他3万円などが 必要になり結果的には 月約55万円いることになる。
収入は傷病手当月給の約60%で18万円(まだ手続きをしていないので金額は定かでない) 高額治療費の補助金 約2万円 で結果的には月約20万円となり 月約35万円の持ち出しとなるわけであるが これも6ケ月間でその後は傷病手当がなくなるので持ち出し金額が多くなってくる。
 しかし 生命保険(JA共済)に入って一時金の様なかたちになるが60万円(120日で1日5千円) そして 入院とは別であるが アパート経営を本年4月より始めて月約15万円位の収入はあるはずである。また 会社へ行っていた時の小遣いが約6万円使っていたのが 約1万円しか使わない。など 考えると6ケ月で30〜40万円の持ち出しで済みそうだ。貯金でなんとかなる。
(2).死んだときの生活費はどうか
 (ア)生命保険金が約3000万円
 (イ)厚生年金など約1500万円
 (ウ)家 土地 アパート収入などを考えれば 十分生活が出来るはずである。

3.娘へ(平成6年12月12日)          父より
平成6年12月12日20歳の誕生日おめでとう。 いよいよ成人となり大人の仲間入りし 色々な権利と責任が与えられる。酒 たばこを飲むことも良くなり 選挙権が与えられるなどが有るが その反面 大人と見られることで自分の責任が増えてくるのがあたりまえである。次にあげる事に注意し 自分の幸せを考えて これからの人生を生きていく様に祈る。
 @たばこは吸わない(体に悪い 子供に悪影響がある 格好付けて吸っている女がいるが馬鹿に見える)
 A酒はほどほどに(酒は百薬の長といわれるぐらいで アルコールの効用がうたわれてきたが現在は社会の数々のストレスからの逃げ道として酒におぼれる人が多くなり百薬の長というより毒水というべき存在となっている また 女の酔っぱらいほどみっともない物はいない)
 B人を見る目を養え(あの人は良い人だと言うことがあるが それは その人にとって 都合の良い人である。他人のうわさで その人の判断をせず自分で判断すること。良い事ばかり言う人に特に注意する。)
 C一生付き合える友を捜せ(金の付き合いでは金がなくなれば離れていく。 心と心の付き合いが出来る友達を捜せ)
 D28歳までには結婚をしてくれ (玉のこしなど考えず 死ぬまでパートナーとしてうまくやっていける人を捜せ)
 E親離れ 子離れに心掛ける
(いつまでも親子の縁は切れないが いつまでも親が生きている分けでもないし 結婚すれば別々に暮らす事になるわけだから お互いに自立せよ)
 F選挙には手を出すな(必ず金が絡むので 人との付き合いに影響する)
 G自分を魅力ある人間になる努力をせよ
  お前が生まれた時 2850kgで手の指などは透き通る位細く未熟児ではないかと思われるようで 顔は猿の子供そっくりであったのでうまく育つか心配をしていた。しかし 10ケ月もたたない内に歩くし 言葉も赤ちゃんとは思えない位おませな 話しをするので これは天才かと思う日々があったが その後 メッキがはがれ まぁ凡人かなあと思うこの頃である。そして 初の子供であり お母さんも大変だったし 祖父母も大変だったと思う。川へはまった事件 小便事件 あめが喉に詰まった事件 前髪事件 風呂の中での事件 腕の骨折事件など様々なことが起きたのであるが ここに 今20歳になるとは信じがたいが 本当に20歳の誕生日なのである。
 !おめでとう!

.大晦日病院にて(平成6年12月31日)
 大晦日病院に入院していて 過去になかった事で なぜ病院にいなければならないか いゃになってしまう。大晦日に今までやってきた 庭の木の選定 神棚の衣替え 鏡もちの御供えなど何も出来ない。 今年 前半の半年は仕事も順調であった。F君の息子結婚式 Y君の家の改築も無事に終わり 円城寺のT大工より頼まれた地鎮祭 また 五月会の旅行も行き会長に就任したが どうも7月の人事異動で建機設計課から建機技術課に変わり設計と品質保証を同じ課でやる事になってから 何か歯車が狂いだしたように思われてならない。今にして 思えば 6月の田植え クレーム処理の資料作り などで無理をした事もあると思うが 酒を飲む量が少し増えたかなぁと言うことである。病気になっては仕事も遊びも何もできない。健康が第一これのみである。入院して もう5ケ月が過ぎ 残り1.5ケ月になった もう少しの辛抱だ。頑張るぞ

5.新年に思う(平成7年1月1日)
 入院して もう5ケ月が過ぎ 残り1.5ケ月になった もう少しのしんぼうだと自分を励ましながら入院生活を送ることになる。仕事のことは 出て行ってみないと判らないので 完全にスイッチをOFFにした状態である。だから ああしよう こうしようと言う事はない。無である。家の事は少しずつやっていくしかない。時期的にやる事が少ないので助かっている。
 KとHは 受験の年である。基本的には 本人たちが頑張る事が 第一であるが 父親として助けてやる事 出来ればと思う。何も出来ない。Jは20歳になり成人式である。大きくなったものだなぁ。その分 自分は年取ったなぁ。
今年は何をやろうと言う目標が立たない。病気で入院していてはダメダ 全て退院してからと言う事になる。今年こそは良い年となるよう祈る。

6.妻へ(平成7年1月19日)                     Yより
 パートに行きながら家庭の事をやりながら、病院にほとんど毎日見舞いに来てくれて有難う。良くやってくれた。まだ 治療の途中では有るがもう少しなのでこれからもよろしく頼む。
結婚相手について 子供の頃から結婚相手について次の様な事を考えていた。
@長男で親と同居 農業をやらなければ成らないことを考えると見合い結婚しかない。始めは見合いでよいが 恋愛にならないといけない。
A24才までに結婚して30才までに子供を2〜3人欲しい。(父が兵隊に 入っていた事もあり結婚が遅く長男の私が33才の時の子供で苦労している ことが判っていた。) 年は2〜3才下がよい。
B相手の家は近からず遠からず 車で30分程度
C 中肉中背で 顔は10人並 よくしゃべる 明るく くよくよしない。
D 相手は 見合いとなれば相手の家も本人も了解して会うので その前に直接 見て自分で決める。
22才の時見合いの話が父の妹より有り、 スナップ写真一枚での話で有った。写真の印象では色が白くポチャッとしているなぁ と思ったが本人に会ってみないと判らないので 正式な見合いと言う事ではなく相手の家へ行き本人を見たいということで 話を進めてもらうようにお願いした。
 当日 相手の家へ行き こちらの家族 自分の勤め先など相手の両親と話をしていたが 本人はお茶を出しただけで 話も出来なかったが 母親の方が気に入った (美人だし よくしゃべるなど) 相手はどう思ったかは別にして 何か運命的なものを感じていた。これが赤い糸で結ばれているという事かと一瞬 頭をかすめた。
今結婚して20数年思えば 子供の頃から考えていた結婚相手とほぼ合っていてよかったなぁ と思う今日この頃である。お前はどう思っているかは知らないが俺が少なくとも愛しているよ T子さん。

7.長男へ(平成7年2月2日)                     父より
高校の受験がんばれ
いよいよ私立高校の受験日が 近づき最後の追い込みの時期になった。準備は十分か? 自分の能力が十分発揮出来る様 最後の復習を十分やり 体に気を付けて(特にかぜをひかない) 試験日にのぞむこと。自分自身のことだから後日に悔いを残さぬよう 勉強をやれ。
@ 受験日の前日は早く寝る。
A 受験当日は 少し早く起きて受験場に行き 気持ちをおちつかせ試験にのぞむこと。
B 他の受験生は 皆 自分より出来るように見えるかも しれないが 皆 同じ様なレベルの者しか 受験しないので 自信を持って 試験にのぞめ。
C 結果はあとから 付いて来るものなので 結果を考えず がんばってこい。
 おとうさんは入院中なので 何もしてやれないが 合格するように お祈りしている。 家族みんなも応援している。また 当家の先祖も神様も応援してくれているので 健闘を祈る。Hがんばれ。

8.次女へ
(平成7年3月1日)                  父より
平成7年3月1日 K西高校 卒業おめでとう。
長かったか 短かったか よくわからないが入学してから三年間が過ぎて 卒業の運びとなった。
入学した時の 初心を忘れずに 過ごしたかと言うと そうではなかった 様に思われる。まず 服装により学校を選ぶ事などおかしいが これは良いとして 朝学があるからと言っていた事については どうだったか など 色々あったと思うが 今後の為に 反省して見てはどうだろうか。
 すぐに 京都の学校へ行く事になるが 一人暮らしは出来るのか 今の生活の状態より考えると心配でならない。又 一人暮らしの寂しさ 食事をどうするかなど考えれば いくらでもある。
 父としては何もやってやれないから自分でやってくれ、頑張れ K子

9.次女結婚(平成14年11月3日)

恭子へ                              父よりの手紙
(1)結婚おめでとう
(2)結婚式は自分たちで計画してあまり相談もなかったが、「感動した」の一言であった。よかった
(3)結婚式の時の感動を忘れず、夫婦仲良くやってくれよ。 見守っているからな。
(4)これからは達也くんと共に手をとり合い、こらからの人生を過ごしていく分けで有るが長い夫婦生活の間には良いことも悪いことも起きる。当然判らないことばかりで、大変だと思う。それが人生であり、何かにぶつかったとき今まで経験したことがないと中々良い解決方法が見つからないそれは当り前である。二人で相談し解決していくのが大前提であるがどうしても判らないことが有れば相談にこい。
(5)幸福にな!



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